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ロンドンパラリンピックの柔道(視覚障害)女子52kg級の日本代表 半谷静香選手に、これまで経験してきたこころの悩みについてお聞きしました。

Q:柔道を好きになったのは、いつ頃ですか?

やっぱりブラインド柔道に出逢って、勝てるようになったくらいですかね。それまでは柔道をすることが苦しくて苦しくて。たまに勝てたとしても苦し紛れに勝ったような感じでしたし。ブラインド柔道には大学1年生(2007年)で先輩に紹介されて、というか実際には断れなくて始めたんですけど(笑)。ただ、いま思えば、大学の時も競技的なモチベーションはそれほど上がってなかったのかもしれないです。というのも、ブラインド柔道を始めて、わりとすぐに全国大会で優勝しちゃったんです。中学、高校時代は正直優勝とは程遠かったですし、同じ土俵にも上がれていない気がしてました。それなのに、いきなり全国1位と言われても実感が湧かないというか。競技レベルが低いだけなんじゃないか、って思ってました。当時はまだ世界大会にも出ていなかったので、練習してこれ以上強くなることを目標にしても仕方ないんじゃないかなとも思いましたね。

Q:それでも練習を続けて、2008年の北京パラリンピックへの出場内定までたどり着いたと。でも、実際は、最終的に出場資格がないことが判明して出られなかったんですよね?

はい、そうなんです。北京への出場が内定して、かなりがんばって練習していたんです。色んな方のご協力もあって筑波大の練習に参加させていただいたりもしました。でも、パラリンピックの年の4月に出場できないことがわかったんです。なんだか色んなことが信用できなくなってしまったし、気持ちもプツッと切れてしまいました。期待して支えてくれていた方にも本当に申し訳なかった。そんなこともあって、それから1年半くらいは柔道から離れてしまいました。

Q:そうなんですね…。そんな中、柔道に戻ろうと思ったキッカケは何だったんですか?

大学の同期の仲間がすごく楽しそうに柔道をやっていて…。そういう雰囲気を見ていたら、ちょっとまたやりたくなっちゃいました(笑)。いま思うと柔道を好きになっていたのかもしれないですね。

Q:すごく素敵なことだと思います! 他にモチベーションが高まるような出来事はありましたか?

2010年にトルコでの世界大会(※)に出場したんですけど、世界の壁は厚くて高くて全然通用しなかったんです。もちろん優勝できなかったんですけど、ただそれでも、ひょっとしたら、もっとがんばれば一番になれるんじゃないかって思ったんですね。モチベーションが高まるキッカケでした。
2011年の震災後に、支えて下さっている方の紹介で小川直也先生に出逢ったことも勉強になりました。当時の私は今と比べると技が何もなかったし、小川先生には最初に「柔道のことを何も知らない」と言われました。それまで手取り足取りのマンツーマンで指導を受けたことがなかったですし、何となくでやっていた部分も多かったので、この歳(当時24歳)になって、みんなはこういう風にしていたんだ!というのが初めて分かったんです。柔道の世界が広がった感じはありましたね。テクニックという意味で、柔道の楽しさを知ったのはこのタイミングかもしれません。
※編集部注:IBSA(International Blind Sports Federation)柔道世界選手権大会。半谷選手は7位入賞。

キュートな笑顔でテキパキと話してくれた半谷選手ですが、こうして伺った話を振り返ると、苦しい想いをたくさんされてきたんだなと改めて感じます。それでも、時には正面から、時には距離を置いたりしながら、悩みと向き合い、歩んできたことが分かります。現在の半谷選手の目標はリオパラリンピックでの活躍。これからもケガに気をつけて、がんばってください!


Reported by チアアップ!編集部

半谷静香Shizuka HANGAI

1988年7月23日、福島県生まれ。生まれつき弱視の障害があったが、高校までは普通校に通う。兄の影響で中学から柔道を始め、大学時代に視覚障害者柔道に出会う。2007年に行われた第22回全日本視覚障害者柔道選手権大会48kg級で優勝を飾ると、国内を代表する選手に成長し、数々の国際大会に出場。大学卒業後には小川道場で稽古を重ね、ロンドンパラリンピックに女子52kg級代表として出場、7位入賞を果たした。現在はエイベックス・グループ・ホールディングス(株)に所属。2016年のリオパラリンピック出場を目指し、稽古に励む日々を送っている。